燃え尽き理系学生の思考帳

頭を使わないと衰えてしまいそうなので、思った事をつらつらと書いてみます。

生物学的な死亡状態とは

 生物学の実験をする際、対象の動物を頚椎脱臼などの方法によって死亡させてから解剖する事がある。

 そんな時にふと考えていたことがある。

「もし頚椎脱臼したこのマウスの神経をこの瞬間に修復したら、マウスは生きるのか」

言い換えるなら「生存と死亡は可逆状態にあるか」ということである。

 ある生物が死亡状態に入った場合、その生物は全細胞単位において死亡状態に入るのか。死んでからも幾分の時間は、細胞は生存状態にあるのではないか。つまり、死亡状態に突入したあとの刹那、その生物は「死んでいない」のではないだろうか。

 そういうことを考えると、世間一般が生と死を完全に可分な状態として考えていることに、強い違和感を覚える。

 生と死の間には生きているとも死んでいるともつかないマージナルな状態が存在している、そしてそのマージナルな状態では実は外的影響によって、どちらにも転ぶことができるのではないだろうか。

 しかし、このマージナルな状態の中に必ず生と死を分ける一点が存在するのである。そうでなければ、世の中には「死ぬ」という概念が生まれえない。

 うーん…何とも難しい。この、いわば「生と死の完全なる境界点」、または「生死を分ける閾値」を生物学は解き明かすことができるのだろうか。この点、またその点の周囲で起こる生化学的挙動をとらえることができるのであれば、それはもしかすると様々な病気による死から人々を救いうるのではないか。

 「死の生物学」、もし再び学問の戸を僕が叩くことがあるならば、前のエントリと加えて研究してみても面白いかもしれない。

 すくなくとも今は思考実験の域を出ない。