生物学、ひいては科学の超えられない壁
生物学の論文では基本的に以下のような流れで現象の説明がなされる。
「ある処理を行ったA群と対照群であるB群を比較
→A群とB群との相違を比較→その相違はある処理により起こされた」
だいたいこんな感じである。
一見すれば何の矛盾もない。しかし、本当にこの因果性は語れるのであろうか。
この時に生物学がぶつかる壁、それが「リアルタイム性の壁」である。
こういった生物学的研究においては、その解析は通時上における連続しない複数点において行われる。どういうことかと言うと、4週間前の状態と今の状態の間に起こる出来事は認識されない、という事である。
もちろん、このピンポイントの間隔をなるべく狭めていくことで連続性に類似いたデータを確保する事は可能である。しかし、それではその生体の中で1分1秒何が起きているのかをとらえることはできない。
このような反論もあるだろう。生物のバイオパラメータ、例えば呼吸数や血圧などを継時的に記録すれば、十分にその生物に起きている事象を捉えられているのではないか。
確かにこの理論は、科学者が信じ込んでいる「ある前提」が正しければ間違いない。
その前提とは「そのパラメータはその生体内で起きている目的とした現象を反映している」というものである。
僕は、この前提が絶対であるとは思えない。つまり、どれだけ多くのデータを集めようとも、その現象を視認できるレベルに落とし込んで確認しない限りは、起きている現象を把握したとは言い切れない。
ここでいう視認とは、カメラによりある現象が起きた映像を録画するという事ではない。リアルタイムにその現象が起きている状態を、器具用具の干渉をとりのぞいて把握する事である。
ここまで述べたことはただの屁理屈であるかもしれないし、こんなことはとうの昔に唾棄された問題であるのかもしれない。しかし、生物学、メタ世界論(こういうワードを出すが、僕はスピリチュアルに肩入れしているわけではない)に拡大すればあらゆる学問において、このような地盤の不安定さが残っている事を頭に留めてはどうだろうか。
…メタ世界論についてはゲーデルの定理に準じているので、よければ「ゲーデルエッシャーバッハあるいは不思議の環」という本を読んでみてほしい。